奄美大島へPART3

2025年06月13日

2021年7月に「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が世界自然遺産に登録されました。奄美大島は国内最大規模の亜熱帯森林が広がり、マングローブ原生林は日本で2番目で71ヘクタール、ちなみに1番は沖縄県の西表島でその面積は何と602ヘクタールもあります。奄美大島には75種以上の固有種が確認されており、生物の多様性が非常に高い島です。特に有名なのは「アマミクロウサギ」ですね。名所旧跡は少ないですが、絶景が至る所にあります。私が感動したのは二つの海が見える丘「加世間峠」ですね。皆さん、一度訪問されては如何ですか。

奄美一口メモ:「マングローブ原生林」とは、海水と淡水が混じり合う汽水域に生息する植物群のことを指します。

絶景や ああ絶景や 絶景や

陸はさみ 東シナ海 太平洋

白砂に 紺碧広がる 海岸線

絶景と 言われて上る 霧の中

(何も見えません)

 

 

奄美固有種(クロウサギ)        マングローブ原生林

 

大浜海浜公園

霧で何も見えない油井岳展望台(晴れてたらこんなん見えます)

 

左が東シナ海、右は太平洋(陸地の幅は750m)

奄美大島へPART2

2025年06月09日

来島二日目に、ホテルが奄美大島随一の繁華街「名瀬地区」にありますので、歩いて5分の屋仁川通りの飲食店が100軒もある「居酒屋 脇田丸」を食べログで調べて、口コミも確認して事前に予約、行ってきました。午後6時半に入店、最初から一挙に注文してテーブルを一杯にしたろと「I―PAD」でメニュー入力、まずすぐに付け出しと生ビール、冷酒到着、待つこと5分、全ての商品が出そろいました。お客が沢山居られる割に素早い対応、それに一品一品が金額の割に多めでした。その後黒糖焼酎3種類、浜千鳥の詩、じょうご、高倉を濃いめの水割りで頂き、お会計、なんと二人で1万円、地元の新鮮な食材を使ってこの価格、大いに満足して、ホテルに帰りました。PART3では、奄美の自然をご紹介します。

なんとまあ 出てくる一品 量多し

海の幸 すべて新鮮 これぞ奄美

気に入った 黒糖焼酎 買っていこ

屋仁川通り                居酒屋 脇田丸

 

お昼に食べた奄美名物「鶏飯」(色んな具を入れたお茶漬け)

メニューアラカルト(締めは焼きおにぎり)

 

孫娘と神社参拝

2025年06月04日

運動会の代休で、孫娘と大阪市の住吉大社に二人でお参りに行ってきました。私がお参りするのははるか昔、昭和54年ですか、確か国家試験合格祈願で訪れたような気がします。それから、はや半世紀近く、今度は孫とお参り、なんか感慨深いものがありますね。阪神高速で池田から40分、混まずに順調に到着しました。神社横の駐車場に停めて早速お参り、かなり急勾配な朱色の太鼓橋を渡り境内へ、すぐに第三本宮、横に第四本宮、その後ろに第二本宮、さらに後ろに第一本宮と順番にお参りしました。この神社の主祭神は四柱が祀られており、特に有名なのは、第四本宮に祀られている神功皇后です。凡そ4世紀頃に住吉三神の託宣によりお腹に子供(のちの応神天皇)を宿したまま玄界灘を渡り、朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻め、高句麗・百済も朝貢することを約束させた「三韓征伐」をした女傑として今に伝えられています。孫娘は歴史の事が好きで、私の乏しい知識で説明しますが、今は子供たちもネット検索して、色々調べているようです。お宮キッズというホームページもあり、子供たちにわかりやすくいろんなことを紹介しています。境内を隈なく散策して、社務所受付にお守りや絵馬が販売されており、孫はどういうわけか長寿守、私は厄除御守を購入、願い事を書きたいと孫は絵馬に願い事を書いて一番高いところに架けました。12時を回っていたので、正面の鳥居前にある洋食屋で昼食、食べ終わって外に出ると、ちょうど路面電車が通っていました。神社と路面電車、早速動画撮影、二人とも満足して家路につきました。帰りの阪神高速池田線を走行中、ちょっとした事件がありました。走行車線に法定速度で走行している白のクラウン、ガラスは全面スモークガラスで中は見えません。ヤンキーの車にあおり運転でもされてはと思い、追い越し車線に出て、加速追い越ししようと横に並んでなんか胸騒ぎ、すぐに減速して後ろに戻る、すると追い越し車線をスピードを出して、あのマセラッティのSUVが、思う間もなくクラウンの天井より回転灯出現、あっという間にマセラッティはスピード違反でアウト、一つ間違えると我が身、やっぱり住吉さんのお陰、お参りしてホントによかったと実感しました。安全運転、安全運転。

神殿に 孫と並んで 拝礼す

よりどころ 信ずるものは 救われる

ちょっとした 油断我が身に 降りかかる

神頼み 頼るだけでは あきません

正面の鳥居                太鼓橋

 

 

 

第一本宮               第二本宮

 

第三本宮               第四本宮

 

お守りと絵馬(年寄りにはようわからん願い事)    境内図

 

路面電車の動画

楠公武者行列

2025年06月02日

テレビで「楠公武者行列」が放映されていた。湊川神社の大祭として、5年に1回、今回はコロナ禍で7年ぶりに行われた。湊川神社は兵庫県神社庁の本部がある場所で、兵庫県全体の総代会の総会に何度か出席し、参拝していた。湊川神社は、明治天皇が楠木正成を主祭神として祀るために明治5年1872年に創建された割と新しい神社、足利幕府に対抗して後醍醐天皇を奉じ、湊川の戦いで足利尊氏に敗れて、自害した。その後60年位南北朝時代となり、二つの朝廷が存在、楠木正成は天皇家にとっては忠臣の鑑です。5年後の楠公武者行列は見に行こうっと。

楠木正成公の名言

足ることを 知って及ばぬことを 思うな

(意味:現状に満足して、無理な欲望を持たないように)

欲深し 幾つになっても 消えません

その境地 辿り着くには 道遠し

数年前に訪れた隠岐島にある幽閉された場所に建っている後醍醐天皇在所址の碑

湊川神社                馬上の鎧武者

 

奄美大島へPART1

2025年05月29日

奄美大島に行ってきました。1日目は晴れ、2日目は雨、3日目は曇りと全ての天気を体験しました。奄美は年間降水量が2800mmで特にこの時期は雨が多くて、1日が晴れならまずまずです。今の人口は6万人ですが、かつては20万人も住んでいましたが、こんなに人口が減ったんですね。その代わりにハブは何と20万匹もいて、年間40名前後が噛まれるそうです。また、離島は全国で1400か所もあり、面積では、佐渡島に次いで奄美大島は二番目、三番目が対馬、我々の地元の淡路島は4番目で奄美大島の80%位だそうです。また、1300年以上の歴史を持つ大島紬が有名ですね。大島紬は、世界三大織物で他にフランスのゴブラン織りとイランのペルシャ絨毯があります。大島紬の工房を見学に行きましたが、一反作るのに一年かかるそうで、たいへん高級な織物です。今お米は栽培されておらず、ほとんどサトウキビが奄美群島(奄美大島・徳之島・沖永良部島・喜界島・加計呂麻島・請島・与路島・与論島)で作られており、黒糖焼酎が有名ですね。美味しく頂戴いたしました。地元の居酒屋を探訪しましたので、後ほどご紹介します。まずは奄美大島のご紹介でした。

大自然 名所旧跡 ありません

亜熱帯 とにかく雨が 多すぎる

奄美空港到着                  ハブのはく製

 

黒糖焼酎工場見学

大島紬工程のひとつ(泥染め)

世の中にはこんな偶然、あるんやな?

2025年05月26日

先日、いつものゴルフ仲間が、今度九州から親戚が新幹線で来るんで、新大阪駅周辺で美味しいところない?と聞いていて他のメンバーが、上新庄に美味しくって、金額も手ごろな寿司屋があるでと言っていたのをそうなんや程度で聞いていましたが、結果は飛行機で伊丹着となりました。ここまでは普通の話ですが、ここから本題。皆同じ業界の人間ですが、その親戚は5歳年上、食事の席で色んな昔話をした時に、ゴルフの話が出たようでその時、ほぼ毎週ゴルフに行ってるメンバーの話になり、私の名前が出た時、それ俺と同級生の「やっさん」や、あの背の高い頭の良い温厚な人(ホンマに言った?)だと覚えていたそうです。何分44年前、記憶をたどるも顔は思い出せず、ただ名前を聞き少しずつ蘇ってきたような?早速卒業写真をラインで送り、お互いの顔を確認、懐かしさが蘇ってきます。こんな偶然ありますか?一度会いたいなー。

偶然に 昔の同窓 巡り合い

蘇る 懐かし顔が 何となく

名前だけ 記憶の端に 残っている

資格取り その後の人生 今がある

恒例の淡路島一泊旅行

2025年05月20日

毎年5月の頃に淡路島に行きます。今回もいつも泊まるホテルの近くの三熊山の山頂に洲本城の天守閣が見えます。一度は上りたいと思っていましたが、今回朝食を食べ終わり、7時半より登り始めました。天候は晴れ、登っていくと少し汗ばんできましたが、登ることおよそ15分で天守閣に到着、750mのかなりきつい登り路でした。ちなみに洲本城は、1526年に三好氏の重臣安宅氏が築城し、戦国時代から江戸時代初めにかけて色々と城主が変わり、1615年に夏の陣で功を上げた蜂須賀至鎮に淡路国一国を加増されて阿波国と合わせて25万石の外様大名となり、阿波藩が派遣した城代稲田家が置かれることとなって明治維新まで続いたそうです。天守閣の広場を掃除されている高齢の男性がおられました。ご苦労様ですと声を掛けたところ、少しお話が出来ました。見学に来られる方に少しでも気持ちの良い思いをしていただきたいと掃除していますと答えられ、ちょっと待ってくださいと仰り、建物に戻られ、こんな絵葉書ですがと言われ頂いたのがこれです。5枚入っておりました。洲本城や山頂から見下ろす城下の風景など素晴らしい絵葉書を頂きました。趣味で書いています、暇つぶしですと仰られ、7年前に洲本に憧れて、神戸市内から移住してきました。老後は自分の好きなように生きていきたいと言われていました。

すごく共感を覚えました。旅で色んな出会いがある、たまりませんねー。

旅で会う そんな出会いで 心和む

天守閣 見上げて思う 過去歴史

 

 

 

田植えが終わり、田舎の同級生と一杯飲み

2025年05月19日

いよいよ田植えの時期です。田植えをするまでの田んぼの作り方を簡単に説明します。まず一番目は、「1回目の田起こし(荒起こし)」、冬の間に固くなっている土をほぐす為にトラクターで田んぼを耕します。これで土を柔らかくして水の浸透性を良くします。二番目は、「畔塗り」、田んぼの水を適切に管理するために田の周囲に畔を作りますが、泥で畔を作るのが、これがまた面倒なんで、「畔シート」を田んぼの周囲にめぐらします。三番目は「基肥」、肥料をまき、2回目の田起こし(仕上げ)をして、土と混ぜ合わせます。牛糞など人間の体にも優しい肥料を使います。四番目は「入水」、田んぼに水を入れて、五番目に「代掻き」、土をさらに細かく砕いて均一にして、雑草の発芽を抑え、田植えをしやすくします。五番目は、「田植えの準備」、昔はそれぞれの家で「種もみ」から稲の苗作りをしていましたが、今は農協で作ってもらう所もありますが、苗を育てる育苗期間を経て、いよいよ田植えとなります。田植えは、小さい頃は手植えで小学校、中学校は田植え時期になると農繁期で学校はお休みとなり、田植えの手伝いをしていましたが、今は一度に4条から10条を植えることができる乗用の田植え機であっという間に植えることができます。そういうことで、みんな田植えも終わり一杯飲もうということになりました。近くの居酒屋に四名集合。楽しいひと時を過ごしました。

飲み屋で作った友3人の句

友と飲む 酒はどれほど 上手かりし

米作り 足腰疲れて どやさねん?

明日は雨 急ぎし田植え 無事終わる

我が子には 継がせたくない 米作り

トラクターで「代掻き」をしている風景      昔の田植え

 

今の6条植えの乗用田植え機          秋の稲刈り

 

居酒屋「しまや」の風景と料理

 

単眼望遠鏡「40×60高倍率」

2025年05月16日

先日たまねぎ畑に雉が来ていた画像を携帯電話の最高倍率(16倍)で撮りましたが、非常に不鮮明な画像で、以前に使っていた一眼レフの倍率25倍のデジカメを久しぶりに引っ張り出してきて充電も確認し撮ろうとすると全く動きません。完全に壊れておりました。何とか離れたところからとれる物はないかと色々ネットで調べて、もう一台の携帯電話(携帯電話のカメラ機能はデジタルカメラと遜色はない)に単眼望遠鏡を装着できるシステムがあるのをネットで調べて、ピンキリですが、一番安い「単眼望遠鏡」を購入しました。なんと送料込みの999円、翌日到着、早速装着して雉を撮影した同じ場所から「40×60高倍率」で撮影したのがこの写真です。千円でこの位の写真が撮れれば御の字です。ちなみに「40×60」の40は倍率、60はレンズの直径(単位mm)で口径が大きいほど集光率・解像力・視野の広さが良くなりますが、重量や携帯性がわるくなります。ただ手振れ補正は携帯側で補正してくれます。写真を追求される方はこれではあきませんが、私は充分です。今度雉が飛んで来たら撮ろうっと。

金ケチり 買った単眼 まあまあや

でもほしい 望遠付きの デジカメを

オリンパス  次はニコンで 写真展?

無理無理や お金をドブに 捨てるだけ

先日の携帯16倍で撮った写真

 

携帯に取り付けた単眼望遠鏡

 

単眼望遠鏡40倍率で撮った写真

 

同じ位置からの撮影風景

長生きするための秘訣は?

2025年05月14日

最近早く目が覚めます。早く寝るからなんですが、朝の方が頭が冴えておりまして、ブログを書くのは朝と決めております。前回のブログで99歳の義理の父親のことを書きましたが、こんな記事を発見しました。90歳の現役医師の折茂肇先生の著書「90歳現役医師が実践する(ほったらかし快老術)」その一部を抜粋・編集したものです。100歳の人たちが語った長生きするための秘訣は、「無病息災」ではなくて「一病息災」で生きる老いとの上手な折り合い方だそうです。75歳を過ぎてホンモノの高齢者になった時、病気があっても元気に生きる、そのための心の持ちようが肝要である、大原則は「おおらかに考える」ことをすすめたい、病気の有無より機能の有無が大切、そういえば、99歳の父親も白内障で目が見にくくなったので、すぐに白内障の手術をして、裸眼で新聞が読めるようになり、耳が聞こえにくくなるとすぐに補聴器を付けるなど衰えた機能を補う対応をしています。機能が衰えたとしても人間らしい生活ができるかできないかが重要ということですね。そのようにしていくと「細かいことは気にしないという境地」にたどり着くことができる、衰えてしまったことを嘆くのでなく、「じゃあ、どうする?」と発想を転換させて「できること」を考える、あるいは「なるようになるさ」と開き直って、「たいていのことはなんとかなる」ととらえているから、思い悩むこともないし、自分のできることをしながら毎日気ままに生活できていると折茂先生は締め括っておられます。早速読んでみようっと。

この2題は、小林一茶の晩年の川柳・江戸時代の三大俳人の一人(後は松尾芭蕉・与謝蕪村)

ああままよ 生きても亀の 百分の一

秋風や あれも昔の 美少年

 

老いるほど 何とかなるさ これ大事

九十九 あと一年で 百歳か