恒例の淡路島一泊旅行

2025年05月20日

毎年5月の頃に淡路島に行きます。今回もいつも泊まるホテルの近くの三熊山の山頂に洲本城の天守閣が見えます。一度は上りたいと思っていましたが、今回朝食を食べ終わり、7時半より登り始めました。天候は晴れ、登っていくと少し汗ばんできましたが、登ることおよそ15分で天守閣に到着、750mのかなりきつい登り路でした。ちなみに洲本城は、1526年に三好氏の重臣安宅氏が築城し、戦国時代から江戸時代初めにかけて色々と城主が変わり、1615年に夏の陣で功を上げた蜂須賀至鎮に淡路国一国を加増されて阿波国と合わせて25万石の外様大名となり、阿波藩が派遣した城代稲田家が置かれることとなって明治維新まで続いたそうです。天守閣の広場を掃除されている高齢の男性がおられました。ご苦労様ですと声を掛けたところ、少しお話が出来ました。見学に来られる方に少しでも気持ちの良い思いをしていただきたいと掃除していますと答えられ、ちょっと待ってくださいと仰り、建物に戻られ、こんな絵葉書ですがと言われ頂いたのがこれです。5枚入っておりました。洲本城や山頂から見下ろす城下の風景など素晴らしい絵葉書を頂きました。趣味で書いています、暇つぶしですと仰られ、7年前に洲本に憧れて、神戸市内から移住してきました。老後は自分の好きなように生きていきたいと言われていました。

すごく共感を覚えました。旅で色んな出会いがある、たまりませんねー。

旅で会う そんな出会いで 心和む

天守閣 見上げて思う 過去歴史

 

 

 

田植えが終わり、田舎の同級生と一杯飲み

2025年05月19日

いよいよ田植えの時期です。田植えをするまでの田んぼの作り方を簡単に説明します。まず一番目は、「1回目の田起こし(荒起こし)」、冬の間に固くなっている土をほぐす為にトラクターで田んぼを耕します。これで土を柔らかくして水の浸透性を良くします。二番目は、「畔塗り」、田んぼの水を適切に管理するために田の周囲に畔を作りますが、泥で畔を作るのが、これがまた面倒なんで、「畔シート」を田んぼの周囲にめぐらします。三番目は「基肥」、肥料をまき、2回目の田起こし(仕上げ)をして、土と混ぜ合わせます。牛糞など人間の体にも優しい肥料を使います。四番目は「入水」、田んぼに水を入れて、五番目に「代掻き」、土をさらに細かく砕いて均一にして、雑草の発芽を抑え、田植えをしやすくします。五番目は、「田植えの準備」、昔はそれぞれの家で「種もみ」から稲の苗作りをしていましたが、今は農協で作ってもらう所もありますが、苗を育てる育苗期間を経て、いよいよ田植えとなります。田植えは、小さい頃は手植えで小学校、中学校は田植え時期になると農繁期で学校はお休みとなり、田植えの手伝いをしていましたが、今は一度に4条から10条を植えることができる乗用の田植え機であっという間に植えることができます。そういうことで、みんな田植えも終わり一杯飲もうということになりました。近くの居酒屋に四名集合。楽しいひと時を過ごしました。

飲み屋で作った友3人の句

友と飲む 酒はどれほど 上手かりし

米作り 足腰疲れて どやさねん?

明日は雨 急ぎし田植え 無事終わる

我が子には 継がせたくない 米作り

トラクターで「代掻き」をしている風景      昔の田植え

 

今の6条植えの乗用田植え機          秋の稲刈り

 

居酒屋「しまや」の風景と料理

 

単眼望遠鏡「40×60高倍率」

2025年05月16日

先日たまねぎ畑に雉が来ていた画像を携帯電話の最高倍率(16倍)で撮りましたが、非常に不鮮明な画像で、以前に使っていた一眼レフの倍率25倍のデジカメを久しぶりに引っ張り出してきて充電も確認し撮ろうとすると全く動きません。完全に壊れておりました。何とか離れたところからとれる物はないかと色々ネットで調べて、もう一台の携帯電話(携帯電話のカメラ機能はデジタルカメラと遜色はない)に単眼望遠鏡を装着できるシステムがあるのをネットで調べて、ピンキリですが、一番安い「単眼望遠鏡」を購入しました。なんと送料込みの999円、翌日到着、早速装着して雉を撮影した同じ場所から「40×60高倍率」で撮影したのがこの写真です。千円でこの位の写真が撮れれば御の字です。ちなみに「40×60」の40は倍率、60はレンズの直径(単位mm)で口径が大きいほど集光率・解像力・視野の広さが良くなりますが、重量や携帯性がわるくなります。ただ手振れ補正は携帯側で補正してくれます。写真を追求される方はこれではあきませんが、私は充分です。今度雉が飛んで来たら撮ろうっと。

金ケチり 買った単眼 まあまあや

でもほしい 望遠付きの デジカメを

オリンパス  次はニコンで 写真展?

無理無理や お金をドブに 捨てるだけ

先日の携帯16倍で撮った写真

 

携帯に取り付けた単眼望遠鏡

 

単眼望遠鏡40倍率で撮った写真

 

同じ位置からの撮影風景

長生きするための秘訣は?

2025年05月14日

最近早く目が覚めます。早く寝るからなんですが、朝の方が頭が冴えておりまして、ブログを書くのは朝と決めております。前回のブログで99歳の義理の父親のことを書きましたが、こんな記事を発見しました。90歳の現役医師の折茂肇先生の著書「90歳現役医師が実践する(ほったらかし快老術)」その一部を抜粋・編集したものです。100歳の人たちが語った長生きするための秘訣は、「無病息災」ではなくて「一病息災」で生きる老いとの上手な折り合い方だそうです。75歳を過ぎてホンモノの高齢者になった時、病気があっても元気に生きる、そのための心の持ちようが肝要である、大原則は「おおらかに考える」ことをすすめたい、病気の有無より機能の有無が大切、そういえば、99歳の父親も白内障で目が見にくくなったので、すぐに白内障の手術をして、裸眼で新聞が読めるようになり、耳が聞こえにくくなるとすぐに補聴器を付けるなど衰えた機能を補う対応をしています。機能が衰えたとしても人間らしい生活ができるかできないかが重要ということですね。そのようにしていくと「細かいことは気にしないという境地」にたどり着くことができる、衰えてしまったことを嘆くのでなく、「じゃあ、どうする?」と発想を転換させて「できること」を考える、あるいは「なるようになるさ」と開き直って、「たいていのことはなんとかなる」ととらえているから、思い悩むこともないし、自分のできることをしながら毎日気ままに生活できていると折茂先生は締め括っておられます。早速読んでみようっと。

この2題は、小林一茶の晩年の川柳・江戸時代の三大俳人の一人(後は松尾芭蕉・与謝蕪村)

ああままよ 生きても亀の 百分の一

秋風や あれも昔の 美少年

 

老いるほど 何とかなるさ これ大事

九十九 あと一年で 百歳か

 

有馬温泉 余談

2025年05月12日

お宿に早く着いたので、1時間ほど周辺を散策に行きました。シャツ一枚で外に出ると、さすが有馬ですね、むっちゃ寒いのでセーターを取りに戻って出発、坂道を上がっていくと、「金の湯」の外湯がありパチリ、さらに坂道を登っていくと「温泉寺」、行基上人が薬師如来をご本尊とするお寺として724年に創建されました。近くに長い石段を登っていくと「湯泉神社」、有馬温泉の守護神として1191年に僧・仁西による有馬温泉の再興の際に新たに奉られたそうです。周辺には「極楽寺」「妙見堂」「念仏寺」「行基上人像」がありました。どんどん上っていくと外湯の「銀の湯」があり、寒くなってきたんで、お宿へ下って行く途中に、「御所泉源」、6泉源の一つで、宿「陶泉 御所坊」から採ったそうです。夕食の時間も近づいてきたんで、急いでお宿へ戻りました。

有馬温泉一口メモ:源泉と泉源の違い・有馬温泉は、泉源は3種類(金泉・銀泉・炭酸泉の6か所)あります。源泉は、地中深くにある温泉そのものの事を指し、泉源はその温泉から湧き出たスポットの事を云うそうです。

金泉と 炭酸泉と 銀泉も

人多し 観光客は 外国人

散歩道 坂道多し 帰り楽

とは言えど 下りは膝に 堪えます

金の湯                  温泉寺

 

湯泉神社(温泉神社とも) 長い石段

 

極楽寺                  念仏寺

 

妙見堂                  行基上人像

 

銀の湯                  御所泉源

 

 

白寿を迎える妻の父親の望みに応えて

2025年05月08日

妻の父親が、満九十九歳を迎えます。このブログでも以前に一年早く身内が30名集まり、白寿のお祝いをしたことをアップしましたが、今回新聞で有馬温泉最古の宿の記事が出ていたと父から連絡があり、それでは一緒に泊まりに行こうと決まり、行ってきました。九十九歳になる今も、グランドゴルフに健康体操、毎朝新聞を隅々まで、しかも裸眼で読んでおり、耳は遠く補聴器(弊社取り扱いのパナソニックの補聴器)を着けていますが、矍鑠としております。午後三時過ぎにお宿「陶泉 御所坊」にチェックインしました。

お宿をご紹介:鎌倉時代の1191年に創業、鎌倉時代にはあの歌人で有名な公家で正二位権中納言の藤原定家、室町時代には三代将軍で金閣寺を創建した足利義満、戦国時代には豊臣秀吉、明治時代には伊藤博文、与謝野晶子、昭和の時代には文豪谷崎潤一郎がここに滞在されて小説の中に宿を登場させている、

などなど歴史あるお宿です。あちこちに漢詩の額が飾ってあり、建物と相まって歴史を感じました。お風呂も最高、夕食も最高、部屋も最高、ほろ酔い気分でゆっくり時の流れに身を委ねておりました。翌日は父親のリクエストに応えて「蓬莱峡」に行きましたが、車を停めるところもなく、くねくね道を車窓から見るだけに留めて家路につきました。

大浴場は金の湯

有馬の湯 白い手ぬぐい まっ黄色

藤原定家の日記(明月記)に宿のことが書かれている

明月記 漢詩でしるし 読めません

お宿玄関より

金の湯が通路でだんだん深くなりここを過ぎると半混浴の大浴場へ

 

藤原定家の日記「明月記」印の所にお宿のことが書いてある?読めません

お宿の粋な計らい・耳が遠いので声が大きくなり他のお客さんに迷惑をおかけするかもと伝え、その時何分99歳なんでと言ったかも?ほかのお客さんにも99歳と伝えられて、外国のお客さんからも大きな拍手をもらいました

 

遠くに見える蓬莱峡

こどもの日

2025年05月05日

今日は五節句の一つ、端午の節句です。別名「菖蒲の節句」とも言われ、男の子の誕生と健やかな成長を祈る日です。五月人形を飾る、鯉のぼりをあげる、菖蒲湯に入る、ちまきや柏餅をたべる、など家族でお祝いをする大切な日です。43年前に長男誕生の時に妻の実家や親戚から頂いた武者人形、雛飾りと一緒で、武者人形を孫が小さいときは飾っていましたが、じじ・ばばは歳を取り飾るのが大変となり、こんなケースの武者飾りとなりました。鯉のぼりはとっくの昔に、ギブアップです。時の流れはあっという間に過ぎていきます。子から孫へさらに次々と節句にこのような人形を飾れる時代が続くように、平和であることを望みます。日本が、そして世界が。

窓越しに 新緑眩し 春の朝

音がする 田植えの準備 トラクター

生命の 息吹感じる 春なかば

孫が来て 笑顔の花が そこかしこ

昔は飾っていた       今はこれ。

 

 

思い付きの一人旅 PART3

2025年05月01日

いよいよ本来の目的の葛井寺へ出発です。岸和田からおよそ37kmの45分、到着です。ただ周辺には駐車場が少なくて同時に参拝客で一杯でしたので2km離れた岡ミサンザイ古墳(全長245mの前方後円墳、仲哀天皇の陵とも?日本武尊(やまとたけるのみこと)の第二子)の近くの駐車場に停めました。歩くこと15分で到着、すごい人です。ご本尊の国宝千手観音を近くでお参りして、合掌手(人に慕われる)というお守りを頂きました。続いて阿弥陀二十五菩薩堂の特別拝観をしてきました。令和3年より仏像とお堂の修復が始まり、4年以上の工事を終えて、遂に完成しました。阿弥陀如来を中心に両脇を観音菩薩・勢至菩薩を含め27尊のオーケストラ菩薩像が揃い、楽器を奏でる菩薩、舞を踊る菩薩、ゆっくりと往生者をお迎えにくる様子を表わしているそうです。素晴らしい27尊のお姿、ただ二十五菩薩堂となっていますが、菩薩は26尊?深く追及するのはやめということで、葛井寺を後にして続いて辛目神社、道明寺、道明寺天満宮にお参りして家路につきました。往復200kmの非常に有意義で心が洗われる一泊二日の旅でした。合掌、南無阿弥陀仏。

仏見て 慈悲の微笑み 阿弥陀仏

神仏に 願掛け祈る 幸せを

葛井寺                 本堂

 

二十五菩薩堂             合掌手のお守り

特別拝観のパンフレット        辛目神社の藤棚

 

道明寺天満宮            道明寺

集めたお守り

 

思い付きの一人旅 PART2

2025年04月28日

岸和田に泊まったホテルは、ルートイン大阪岸和田です。JR阪和線の東岸和田駅、きっと飲み屋も一杯あると思いきや、ほぼ皆無、そこから西に1・5kmの南海本線岸和田駅にありますよと言われて、15分歩きました。居酒屋「海坊主」名前がいいですね。5時45分に混んでくる前を狙ってカウンターで、注文開始、まずは炙りを塩で3種盛の刺身を、続いて「生しらす」に「ホタルイカの酢味噌」で生ビールと岸和田地酒の「三輪福純米酒」1合、そして同じくもう1合、続いて「大はまぐりの浜焼き」と「赤エビの塩焼き」で交野地酒の「利休梅 静香純米吟醸」1合を注文して1時間半を堪能しました。そこからまた15分ほろ酔い歩きで、コンビニによってハイボール1缶とあてを買って、ホテルの大浴場で汗を流して、部屋で一杯、ちょうど眠たくなってきて、ベッドにもぐりこみ朝まで熟睡、朝6時に目覚めて、9時に今回の目的の地「葛井寺」へ出発しました。後ほどPART3で。

一人飲み 自分のペースで 楽しめる

ご当地で 酒を楽しむ 一人酒

酒好きの 友と飲むのも それはそれ

友と飲む 酒はリミット すぐ超える

居酒屋「海坊主」             刺身三種盛

 

生しらすとホタルイカの酢味噌と三輪福純米酒  大はまぐりの浜焼きと赤エビの塩焼き

 

静香純米吟醸酒

教皇と法王の違い

2025年04月22日

フランシスコ・ローマ教皇が昨日の21日にお亡くなりになられました。ローマ法王とは違うのか、早速調べてみると、2019年まではローマ法王とお呼びしていたが、以後正しい呼び名は教皇ということに統一したそうです。ローマ教皇庁は、イタリアのローマ市内の中にあるバチカン市国にあり、教皇は世界最小独立国家の元首です。人口は800人、面積は0。44平方キロメートルです。ちなみにキリスト教の信者数は25億人で世界人口の34,2%を占め、主な宗派はカトリック・プロテスタント・正教会があります。バチカン市国はカトリック教会の総本山で、今後も信者は増えていくそうです。他の宗教の信者数も調べてみました。多い順にイスラム教20億人、無宗教・無神論者12億人・ヒンドウー教11、6億人・仏教5億人だそうです。我々仏教徒は佛法僧に「帰依(優れた存在を信じ、そのお力にすがる)」すると言いますが、キリスト教では似た概念として「入信」「回心」という言葉がありますが、少し概念が違いますが、どちらの宗教も、信仰を通じて心の変化を追求する点では共通していると書いてありました。大阪万博の各国のパビリオンも半旗をあげて弔意や哀悼の意を表して、ご冥福をお祈りしています。合掌。

違えども 信ずる者は 救われる

教皇逝く 祈りの声が 天駆ける

サン・ピエトロ大聖堂とサン・ピエトロ広場(バチカン市国)