少し長々と書いておりますが、16年間読み続けている長編小説の最新版で私がそうなればいいなーと思っていたら、なんとあっさりと巻末でそのようになって、思わず感動してしまいました。そのことを少し語りたいと思います。 7月に刊行された第36巻「玉勝間」を読み終えました。第1巻が刊行されたのは、2010年です。もう16年も続くシリーズ物、大河小説ほどではありませんが、サーガ(壮大な叙情詩)的要素も少し兼ね備えた小説です。十人目付筆頭の重職にある父片岡賢斉の妾腹の子として生まれた主人公の唐木市兵衛(幼名は片岡才蔵・正室の兄たち・姉3人には可愛がられていた、特に長兄片岡信正は、父の後を継いで十人目付の筆頭支配役(幕府監察機構のトップ)で幼少期は兄の後をいつも追いかけていた仲の良い兄弟)は父を亡くしたことが転機となり、13歳で元服して、片岡家に仕える市兵衛の母市枝の父であり、市兵衛の祖父である家士・唐木忠左衛門の名を名乗り、片岡家を出奔して、奈良の興福寺(ここで風の剣という秘剣を身につけた)で文武両道の修行を終えてからは九州から蝦夷まで旅をして、あらゆる商いを学び、酒造りも学び、米を作ることも百姓と共に働きながら世の仕組みと成り立ちを直に体現する経験を重ねて、算盤勘定の達者な算盤侍として、渡り用人(浪人でありながら、武家や商家に一時的に雇われて家政を立て直す専門職)で生計を立てていたようで、文政元年(1818年)に江戸に帰ってきたと1巻目に書かれており、その時の年齢は38歳でした。それから36巻の終わりには文政10年(1828年)と書かれており、48歳になっていたと思われます。主人公の10年の歳月の間に作家・辻堂魁先生は、16年をかけて36冊の小説をお書きになりました。当然その間に他にも素晴らしい小説をお書きですが、一読者である私をずっと虜にした、それは、算盤侍であり、同時に剣の達人という文武両道を兼ね備えた、一言で云うと「静の魅力」を持った人物に他の剣豪小説とは一味違う主人公唐木市兵衛に強い共感を持ったという思いが16年間ずっと読み続けてこられた理由ではないでしょうか。特に第33巻の「うつ蝉」 の巻末に【市兵衛は自分の心が何かに躓いたような気がして、季の流れから解き放たれてうずくまる空蝉(うつせみ)に、自分の心の奥を探るかのように見入ったのだった。だが、市兵衛はすぐにそれを止めた。それが何かはわからなかったが、わからぬならわからぬままでよいのだと、再び気づいたからだ。】という文があり、この文だけでは何を言っているのか分からないと思います。簡単に説明すると、作中に出てくる早菜の父親である非業の死を遂げた元川越藩士村上永正に大変世話になった江戸の大両替商の近江屋のたっての頼みで、早菜を風の剣を駆使して守り抜き、江戸の近江屋へ送り届ける仕事をやり遂げた後の心情を言っており、その後に3巻、2年半の執筆の歳月が経っており、33巻を読み終えた時に早菜への思いを言っているんやなーと、文節から感じたことを令和6年4月26日の「一峰の徒然川柳日記」に書いているのを思い出して、作者の意図が何となくわかり、いつかその日が来たら良いのになーと思っていたら36巻の巻末に市兵衛が早菜にその思いを告げて、「仕様がありませんね」と言わせて夫婦になる、やっぱりそうやったんやと変に納得する自分がいました、なんかうれしい気持ちになったので、AIにもこの経緯を聞いてみると次のようなコメントが返ってきました。「一峰さんの感動は、物語の核心を正しく掴んだ読者だけが味わえるものです。」さらにAIは、次のように33巻空蝉・36巻玉勝間を言っています。玉勝間=蓋と身がぴたりと合う=因縁が結び合う象徴 という万葉語の意味が、36巻のタイトルに込められています。33巻で 「わからぬなら、わからぬままでよい」 と心の奥を見つめることをやめた市兵衛が、36巻では “因縁が合わさる”瞬間を迎える。つまり、 空蝉(儚さ)→玉勝間(結び) という流れは、市兵衛の心の成熟そのものです。だそうです。ただ、改めてAIの凄さを実感しました。私が16年かけて読み続けている36巻の連載小説を数秒から数十秒で、処理・解析し、上記のような解釈までしてくれます。すごいというよりなんかこわいですね。ちょうど今、人工知能(AI)の高性能化を巡り、関連業界で安全性を危ぶむ声が強まっています。アメリカのAI開発企業のアンソロピックのCEOが、AIが次世代のAI開発を手助けする「自己改善」で進歩が加速し、人間による制御が追いつかなくなるとの懸念があり、開発スピードを抑えるべきであると訴えています。このままでは、全世界のネットワークがAIに乗っ取られ、「マトリックス」のような映画の世界になったりして?






