コロナ禍3——

2024年07月19日

令和4年12月28日家での夕食時も500mlのビールを1本のみ普通に食事もし、風呂にも入り10時頃寝ようと思い小用をするとき悪寒がしたが、あまり気にも留めずに布団に入り寝る。 2時間後小用を催しトイレに行くもその後1時間おきにトイレに起きる。 このようなことは過去になかったが。 朝6時頃に熱っぽいので体温を測ると37.2度あり、痰も絡み、鼻水も出るので念のためと思い、コロナ抗原検査キッドで検査をするとTに薄っすら線が出ており、コロナ感染陽性が判明する。

それが12/29午前6時の検査。

  (続く)

コロナ禍2—–

2024年07月18日

令和3年6月、デルタ株が猛威を振るっている時に家内の兄(私と同級生)がコロナで亡くなった。 その時あの白寿のお父さんも感染したが、ほとんど症状もなく人の運命は、わからないものである。 実は私も令和4年にオミクロン株であるが感染した。 その時の状況・状態をしっかり記録しておこうと「コロナ感染記」なるものを書いたので、ここに何回かに分けて発表したいと思います。      暇なら読んでね。

             (コロナ感染記)

記 令和5年1月7日

令和2年1月後半より中国武漢で新型コロナウイルス感染のニュースが出始めていたが、他山の石のような思いでニュースを聞いていた。 その後日本でもクルーズ船内の集団感染が起こり、それから徐々に日本国内に出始めてきたのが4月頃か?あっという間に日本中に拡がり一日中TVで感染者数や死亡者数が報道され、今までに何回もの集団感染の波が襲来し、同時にコロナウイルスもどんどん変異しデルタ株から現在の主流はオミクロン株で感染力は増してきたが弱毒化してきており、軽症で終わる感染者が多くなってきている。 感染対策は日本ではマスク着用、手洗い、うがい、そしてワクチン接種が奨励させているが、海外では特に西洋諸国はマスク不着用となってきており、集会など人が多く集まるイベントもコロナ前の状況になりつつある。 コロナもほかのインフルエンザ並みに2類から5類への引き下げも検討されるようになってきた。 そんな中での私自身のコロナ感染を検証したいと思い、ここに「コロナ感染記」という形で一筆啓上する。 「続く」

コロナ禍1——

2024年07月17日

今またコロナの感染が増えてきています。昨日出会った知り合いの病院の事務長さんが言ってましたが、発熱外来で発熱者の8割がコロナ患者との事、2023年末から新型コロナウイルスに登場した変異株の一つはJN.1だそう です。この変異株はオミクロンBA.286株から派生したもので、アメリカで初めて検出され、急速に世界中で広がっています。日本では主流株の子株としてKP.3株が広がっており第11波が発生しそうだと警鐘がならされています。当時を振り返りますと、つい4年前コロナウイルスによる世界的なパンデミックが発生し、政府から色んな施策が打ち出されましたが、中々ワクチンが出来ず、ようやくアメリカ製のファイザー・モデルナのワクチンが届き、接種が出来るようになりましたが、予防に必要なマスクがない、ドラッグストアに1枚数円であったマスクが1枚50円以上する、しかも品不足、介護施設には必需品である、そんな時に中国やベトナム業者と取引していたので大量に調達することが出来ました。自社の施設にはベトナムより緊急で5000枚空輸して急場をしのぎ、そのあと中国から船便で送って頂いた。地元の自治体からもおよそ15000世帯に10枚ずつ配りたいとの要請もあり、10枚単位に区分けする要望もあり、一番心配なのが船便での輸入、手続きや出荷遅れなどいくつものリスクがあったが、納期に何とか間に合い、胸を撫で下ろしたことを覚えています。最近私もそうですが、ついついマスクをすることを怠っています。まず自分自身が感染しないように心がけたいものです。「外出するときは絶対マスクをするぞ」

どこもない マスク調達 苦労した   

マスクする 誰が誰だか わからない

 

ベトナム製                     中国製

   

ベルギーつながり4——

2024年07月16日

ベルギー滞在最終日に、日本の医療用X線フィルム市場の現状についてというテーマで、

ボードメンバーの前でプレゼンテーションを行う。午前中は緊張し硬かったが、

休憩時間をはさんで昼食に出てきたワインを進められるに任せて飲んでいたので、

かえって緊張が解れ後半は快調にプレゼンを進められた。

結論としてフジやコニカのように超微粒子の銀塩フィルムの導入を早急に投入してほしいと

いう要望に対して西洋人と東洋人では体格差がある。微小な病変を見つけることは

銀塩フィルムではできないということで却下されたが、アメリカのコダック社はインサイト

という超微粒子の銀塩フィルムをその後すぐに市場に出してくるとAGFA社も追随して出してきた。

まあ世の中とはそういうもんかとその後は開き直りビジネスに邁進する。

プレゼンを あんなところで ようしたな  ワイン飲み 開き直って プレゼンす

ランチでも 普通に出てくる アルコール  デザートは 皿に大盛 食べられん

(確か皿に3種類のショートケーキが乗っており、こりゃ無理やとずっと思っていたが、 この写真を見ると食べてもてるやんか、若かったということか?)

ベルギーつながり3——

2024年07月11日

1995年ベルギーに滞在中、ちょうどワーテルローでお祭りがあると聞いて早速休日に見学に行きました。

孫娘が世界史に興味を持っているので、じじは30年ほど前にナポレオン率いるフランス軍と連合軍とが

戦った場所に行った事を話して、最近大いに盛り上がりましたが、戦いは多くの人の命を奪います。

今も近くでウクライナとロシヤが戦っており多くの人命が失われております。早く戦争が終わりますように。

ナポレオン ワーテルローで 完敗す

今もなお 戦い続く あちこちで

ただ一つ 平和な時代に なるように(祈るのみ)

 

ベルギーつながり2——

2024年07月08日

ユングフラウの続きです。1995年、神戸淡路大震災の2年後に訪問。

医療X線フィルムメーカー(AGFA)のボードメンバー達が震災の被害を

心配していただき、弊社に対して色々と支援をして頂きました。

訪問の年1995年がレントゲン線(X線)発見100年目にあたり、添付の

記念硬貨を頂きました。硬貨に次のように書かれています。

「ENTDECKUNG DER RONTGEN STRAHLEN」(輝かしいレントゲンの発見)

レントゲン これを仕事に 今がある

ベルギーつながり1——

2024年07月04日

今から30年くらい前に仕事でベルギーのアントワープにある会社に長期の研修に行ったときの話です。

休みの日にユングフラウに行きますかと軽く誘われ、軽く同意しスイスのアルプス山脈の3名山の一つのユウグフラウに行きました。

ユングフラウ鉄道の最終のユングフラウ・ヨッホ駅は標高3,454mと富士山9合目とほぼ同じ高さまで鉄道でアクセスできます。

ユングフラウ鉄道の始発駅であるクライネ・シャイデック駅(2016m)の裏手の丘にあの有名な山岳小説家新田次郎の記念碑があります。

記念碑には次のように書かれています。「アルプスを愛した日本の作家、新田次郎ここに眠る」

ヨーロッパ人の考え方は、休む時にはしっかり休んでそして楽しみ、仕事の時は目一杯頑張る、そのようにして歩んできた30年でした。

メリハリを しっかり付けて 答えだす

 

上海つながり2

2024年06月28日

前の会社の時に医療消耗品を中国の会社の工場で作ってもらうために

山東省の威海市や上海近くの張家港市の工場視察に数度訪問していた時のエピソード。

上海で打ち合わせ、田舎の町なんでということで高速鉄道(日本の新幹線)であの歌で有名な無錫へ、

そこから車で1時間、張家港市に着きました。なんのなんの田舎と聞いていたが、

人口100万人の立派な町でした。ちなみに上海市は2500万人、無錫市は520万人、

兎に角スケールが違います。そこで添付のような医療消耗品を作ってもらい輸入がスタートしました。

これが縁となりコロナの時にどこよりも早くマスクを輸入することができました。この件はいずれブログにて。

中国は 兎に角人が 多すぎる

以前には こんな事まで してたんや(ようやるわ)

 

 

上海つながり——

2024年06月28日

87年前に父親が上海で手に入れた著名な中国の書家「自然山人 松山」の作品です。

上海事変当時おそらく1937年頃、職業軍人として出兵しており、当時の給与も

それなりに貰っておったようで今のお金にして100万円位払ったと言っておりました。

勤勉と忍耐、親父が頼んで書いてもらったそうです。

この扁額を見ると親父を思い出します。姉と私の家に飾っています。

思い出す 親父の顔が 鮮やかに

デイサービスおおむちに。

2024年06月28日

ご存じの方もおられるかもしれませんが、運営していたデイサービスおおむちの

玄関を入ってすぐの所に飾ってあったこの額、開設した平成15年5月の少し前に

仕事で行った上海で手に入れた絹の刺繍の花の絵です。

懐かしく感じておられる方もいるかも?

皆の顔 この額見ると 思い出す

おおむちと この地のいわれで 命名す