今年も明石海峡大橋を渡り、淡路島の洲本にやってきました。泊まるところも遊ぶところもいつも一緒、これで連続4回目です。昨年は洲本城がある三熊山に登って山頂から洲本港や市街地を見下ろしていましたが、今回は洲本城を見上げて見える絶好のスポットがないか周囲を散策していて意外な事実(そんな大層な)が判明しました。まず見つけたのは洲本八幡神社、八幡神は誉田別尊(ほんだわけのみこと・応神天皇「母は神功皇后」)ご利益は開運・厄除・道開き(進むべき方向を示す神)、早速無病息災五色瓢箪お守りゲット、近くに堀で囲まれた石垣、そこには税務署・裁判所・検察庁、その横に洲本市立淡路文化資料館、道を挟んで警察署が、集まっていました。そうそう税務署石垣の横には源泉かけ流しの足湯もありました。まずは資料館を見学、山頂の洲本城、そしてこの堀に囲まれた石垣、ここも洲本城跡、山頂は戦国時代の山城「1928年に昭和天皇御即位を記念して、コンクリートで建てられた模擬天守」、江戸時代初期に阿波国(今の徳島県)の領主である蜂須賀家が大阪の役で武勲を上げて淡路島を領地として拝領して政庁を置いた平城でした。他にも色々な淡路島の歴史を知ることができ、大変勉強になりました。

この地でも 色んな争い あったんや

淡路島 もとは徳島 今兵庫

江戸時代 士農工商 差別有り

明治以後 四民平等 ホンマかな?

稲田騒動(庚午事変):明治維新の版籍奉還で天皇を中心とした皇室に属する家族、親族は皇族・公家・大名は華族・藩士は士族・そのほかを平民へ再編、「四民平等」を掲げたが、実際には身分差別はすぐには消えなかった。武士階級でも上級、中級武士を士族・下級武士、足軽を卒族、徳島藩(阿波藩とも・蜂須賀家)の筆頭家老で洲本城の城代の稲田家の家来は、家来の家来(陪臣、又者)という扱いで卒族に編入され、士族に比べて薄給の手当てで生活苦、このことで武力衝突、両者に対して厳しい処分が下された。卒族は平民となり、士族は没落していった。この結果、淡路島は徳島県から兵庫県に編入されました。いつの時代も差別は無くなりませんね。

明石海峡大橋

標高133mの三熊山山頂の洲本城までの距離は700m

昨年の山頂からの動画

今年の大浜公園から見上げた動画

洲本八幡神社から見上げた動画

洲本八幡神社本殿

淡路文化資料館

 

市街地から見上げた洲本城

うるおいの湯(足湯)

洲本城跡の行政機関の動画

日の出の写真(大浜公園から)