今、ロシアによるウクライナへの侵略戦争をはじめ、中東でもイスラエル・米軍によるイランへ空爆で最高指導者アリ・ハメネイ師をはじめ多数の幹部も殺害、そしてイスラエル軍のレバノンへの地上侵攻(侵攻の目的は、イランから支援を受けているヒスバラという武装組織を標的にした侵攻)、イランの反撃は、中東湾岸諸国にある米軍施設を少なくても14か所ミサイル攻撃を行い、ホルムズ海峡を封鎖することにより、日本にもまた原油危機が起こり、ようやく落ち着いたガソリン価格も上がりそうな気配が見えており、大幅な株価下落も起こっています。日本も過去に第二次世界大戦をはじめいろんな侵略戦争を行ってきました。以前に元寇の話を書きましたが、これは侵略されたケースですが、第二次世界大戦以外に日本から侵略戦争を仕掛けたケースを考えてみました。年代ははっきりしませんが、以前にも書いた神功皇后による「三韓征伐」が360年頃、そして663年に大和朝廷の中大兄皇子(後の天智天皇)が朝鮮に兵を出して、百済復興を支援するために唐・新羅連合軍と戦った「白村江の戦い」があります。見事に大敗を喫し、朝鮮半島に対する影響力を失ってしまいました。その後1590年に天下を統一した豊臣秀吉が明との対立に始まる無謀な朝鮮侵攻戦争を引き起こし、豊臣政権の崩壊を早める結果となりました。

ただ一説には、スペインが、東南アジアにまず宣教師を派遣して住民を洗脳して次々と植民地化を進めており、日本にも宣教師を送り込んでいたが、豊臣政権はそれを見抜きキリスト教を禁止した。このままでは次は中国の明国も植民地化されてスペインが明国の兵隊を送り込んでくる前に明を占領してしまえという無謀な考えもあったようだ。(真意のほどはわかりません)

一回目は1592年3月に朝鮮に15万の大軍を送り込んで、連戦連勝し、首都漢城(現ソウル)を占領、さらに平壌(ピョンヤン)を陥落させました。これが文禄の役です。ただ破竹の進撃もここまで、明の救援軍も加わり、糧道も絶たれ、戦線が膠着状態となり、明を通じて交渉に入りましたが、講和条件が折り合わず決裂して1597年2月に秀吉は再び14万の大軍を朝鮮に派遣しました。これが慶長の役ですが、1598年8月に秀吉は病死すると、日本軍は撤兵しました。いつの時代もそうですが、無茶な侵略戦争は攻められた国の人々には憎しみが残り、攻めた国の民は疲弊し、その時の政権は必ず滅んでいます。本当に権力者は欲に駆られて学習しないんですね。歴史は繰り返す。

元しかり アレキサンダ― スペインも

侵略は 行きつく先は 破滅なり

 佐賀名護屋城は朝鮮出兵の拠点     大阪城に展示されている図

 

ホルムズ海峡封鎖と中東の国々