志茂田景樹さんのお生まれは静岡県、十返舎一九も駿河の国(静岡)、その関係もあったんでしょう。一九は江戸時代後期に活躍された戯作者(戯作とは、18世紀後半から江戸で興った通俗小説など読み物の総称)、江戸時代最大のベストセラーともいわれる「東海道中膝栗毛」の作者で、続編も合わせると20編・21年間の長期にわたる滑稽本です。栗毛は栗色の馬、膝栗毛とは自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意味だそうです。総作品数は580種を超え、絵も得意だったそうで、NHK大河ドラマでもお馴染みの版元・蔦谷重三郎にも可愛がられたようです。サービス精神が旺盛でご臨終の時も「湯灌しちゃだめ、絶対に火葬してね」と伝え、火葬するとドドドーーンと激しく花火が打ちあがったそうです。一九は死装束の頭陀袋(ずだぶくろ)の中に花火をたっぷりと仕込んでおいたとの事、辞世の句も洒落ていて、花火の逸話にも繋がります。
「この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら」
現代文にザクっと訳すと、「ぼちぼちこの世をお暇しますね。線香の煙とともに、ハイ サヨウナラ」「灰」の部分は、線香の「灰」と火葬後の自分の「遺灰」、そしてサヨウナラにかかる間投句としての「はい」、この3つをかけたダジャレになっています。自分の「死」をもネタにし、死後も人を楽しませた一九、67歳で生涯の幕を閉じた一九、大酒飲みだったそうです。気を付けようっと。こんなのもあります。
「借金は 富士の山ほども ある故に そこで夜逃げを 駿河者かな」
それでは、私も大酒飲みの一九に負けずに一峰(私の俳号)が狂歌を一句。
酒やめる 今日こそ決意 固めるも 酒(避け)れぬ友の 誘いきてもた」
狂歌一口メモ:和歌の5・7・5・7・7を主に社会に対する皮肉や風刺を盛り込んで作られた作品を狂歌と言います。明治時代になると一気に衰退してしまいます。簡単に言うと、5・7・5の俳句と川柳の関係か?川柳は今も盛況か?
十返舎一九の墓(東陽院は台東区浅草から中央区勝どきへ昭和5年に移転しました)
東海道中膝栗毛に出てくる弥次喜多像(京都三条大橋)

十返舎一九が描いた東海道中膝栗毛の挿絵







