テレビで一休さんに関連する番組が放送されていました。昔テレビアニメであったなーと思い出し、一休さんについて色々調べてみました。テレビアニメの放映は1975年からだそうで、一休さんのお生まれは、室町時代の1394年、なんと第100代後小松天皇の皇子・御落胤、6歳で臨済宗安国寺で僧籍に入られ、幼名は千菊丸、僧籍に入られて周健と名乗られ、受戒して「宗純」ちなみに私は一峰(関係ないやろ)一休は道号、あざ名だそうです。性格は、戒律や形式に囚われない人間臭い生き方をされたことが民衆に共感を呼び、江戸時代に彼をモデルにした「一休噺」に代表される頓知噺(とんちばなし)を生み出すもとになったと書いてありました。その後大徳寺の住持となられましたが、京都を離れ、今の京田辺市で酬恩庵(しゅうおんあん)という庵を構えて隠遁され、87歳でお亡くなりになりました。この場所にお墓があり、宮内庁の管轄となっており、今は臨済宗大徳寺派の「酬恩庵 一休寺」だそうです。このお寺で作られているのが一休納豆が有名です。ぜひとも一度訪問したいお寺です。

 

一休噺一口メモ:皆さんもよくご存じの噺です。村名主の九兵衛さんから食事の招待、和尚さんと一緒に一休さんもと言われ、この前九兵衛さんをやり込めたのにと思いながら行くと橋の前に「このはしわたるべからず」と書いてある立札、これは九兵衛さんの仕返しだなと思い、和尚様に橋が壊れているかもしれませんので、私が先にと言って橋の真ん中をずんずん歩いて九兵衛さんのお屋敷へ行くと、九兵衛さんは「あの立札が見えませんでしたか?」一休さんは 「はい、見えましたよ」「なぜ渡ってきたのですか?」「はしをわたってはいけないので、真ん中をわたってきました」と答えて、九兵衛さん、和尚さんが頭の良さに感心されたということです。その他にもたくさん頓知噺がありますので、一度読まれては如何ですか?

禅問答 頓知話に 通ずるか

それ違う 禅問答は 禅の究極

義満の 屏風の虎の 難題を

一休さん 機転生かして やり込める

京田辺市にある一休寺

金閣寺にて足利義満との頓知問答の虎退治のアニメの一幕