最近偶然に「行基聖人」の像や足跡を続けて見ることがあった。行基という名前は知っていたが、詳しくは知らなかったので早速調べてみた。7世紀から8世紀にかけて活躍された僧侶、時の朝廷から寺や僧の行動を規定し、民衆への仏教を直接布教することを禁止していた当時に、その禁を破って行基集団を形成し、近畿を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く人々に仏教を説き、併せて困窮者の救済や社会事業を指導して、布施屋(救護施設)や道場、寺院や灌漑事業(溜池・溝・堀・橋など)を各地に整備し、朝廷からの弾圧を受けたが、民衆の圧倒的な支持を得て、最後には聖武天皇により奈良の大仏建立の責任者として招聘され、東大寺の「四聖」の一人に数えたれ、749年、81歳で往生された。私が行基に触れたのは、有馬温泉の行基像(廃れていた有馬温泉の再興?)、岸和田の久米田寺の久米田池の灌漑事業(大きな溜池)、そうそう伊丹の昆陽池も。他にも猪名川町内に行基聖人が開いた楊津院の後身の天澤寺や東光寺がある。もっと行基聖人の足跡を探訪しようっと。
行基さん 信念持って 世に尽くす
行動し 示す姿で 世が動く
有馬温泉の行基像 久米田池(灌漑事業の溜池)
伊丹市の昆陽池(野鳥観察僑) 岐阜県海津市にある行基寺(入滅の場所とも言われている)