今日は母親の命日、亡くなって早19年、お袋を思い出しながらお参りしました。

家に帰りお袋の写真を見ながら、なんで西多田の地に在宅介護ができる施設を作ったのかを考えてみました。

母親が亡くなる10年ぐらい前から認知の症状が出始めて、地元のデイサービスやショートステイにお世話になっていましたが、徘徊がひどくなり、自宅での介護の限界が見えてきて、知り合いの療養型の病院に入院しましたが、入ってすぐに転倒骨折し、ほぼ寝たきりになってしまいました。

これが契機となり、自分でそのような施設を作ろうと思い立ち、西多田の地に1階は知り合いの整形外科の先生が開業し、2階にデイサービス、訪問介護、介護支援事業所、さらに3階に10室ですが老人マンション、4階に当初より色々と介護事業の相談をしていた先生が在宅支援の診療所を開設することとなり、医療と福祉の総合ビルとしてスタートすることとなりました。

1階正面側にはミニストップのコンビニも入り平成15年5月にスタート、第一号の入居者は、母親でした。

それから20年以上が過ぎ、私がお世話になる年齢となってきました。

形態は変わりましたが、医療福祉の総合ビルとして今も続いています。 時の経つのはあっという間ですね。

介護ほど 大事な仕事 他にない

時流れ 次は自分の 番となる

デイサービスの風景(左が母、隣が姉の義理の母、その隣が家内の母親)

(21年前の開業当初の三栄ビル)