「今野敏 桃太郎伝説」PART 2

2024年09月12日

桃太郎伝説という言葉に惹かれて読み直してみました。
小説の中にも詳しく歴史的観点から解説されており、それを基にネットでさらに調べてみました。
この伝説は、紀元前3世紀、大和王権(大和朝廷とも言う)が西国平定のために使わした古事記にも登場する神話上の人物,吉備津彦命(きびつのひこのみこと)が桃太郎、吉備地域、今の岡山を治めていた温羅(うら)が鬼、温羅一族は百済から渡来し、製鉄技術にたけた技術集団、有名なアニメーション映画「もののけ姫」にも出てくる「たたら場」とも、その技術を提供して国を豊かにして地元民に慕われていた。
紀元後一世紀頃に出雲の国も日本武尊(やまとたける)に征伐されたのと一緒で大和朝廷としては征服して領土拡大が目的であったのかも?、そこに出てくるのが岡山市にある吉備津神社と吉備津彦神社である。
ちなみに桃太郎伝説をなぞって殺人事件が起こり、岡山県警の要請によりST(警視庁科学捜査班)が出動してこの殺人事件を解決するストーリーですが、小説より桃太郎伝説に大いに興味がわき、遠いいにしえのロマンを求め、二つの神社を訪ねて桃太郎伝説の深淵に迫りたいと思います。

いにしえの ロマン求めて 岡山へ

桃太郎 神社探訪 真相を

 

「小説家 今野敏」PART 1

2024年09月11日

昔から時代小説を読むのが好きで文庫本や単行本を時間のある時は読み漁っておりました。

ここ数年は、電子書籍サービスを利用しています。 PCや携帯、特にKindleの書籍リーダーを利用していつでもどこでも読めるようにしています。 最近はまっているのが今野敏の警察小説です。

初期の作品の「蓬莱」を読みました。 ストーリーの中に紀元前2世紀の秦の始皇帝に不老不死の薬を探すように命じられた徐福を題材にしてそこにスーパーファミコンのゲームソフトを絡めて話が展開していく、実際に徐福については日本のあちこちに言い伝えやお墓があったり公園になってたり、その不老不死の薬は天台烏薬「テンダイウヤク」として今もお茶として出されております。

古事記、日本書紀も調べるきっかけを与えてくました。 さらにその時代背景も調べることが出来ました。

これをきっかけに今野敏の「桃太郎伝説」に繋がります。

迷走していた台風10号も近畿圏にはほとんど影響もなかったので近日、この目で確認しようと岡山へ行ってきます。

紀元前 ほんまに来たん 徐福さん

始皇帝 陵を守るは 兵馬俑(へいばよう)

悠久の ロマン感じる 不老不死

水銀を 仙薬信じ 早死にす

(始皇帝が飲んでいた?・行年49歳)

徐福公園(和歌山県 新宮市)     約2200年前に霊薬を求め渡来した?徐福

 

天台烏薬を使った徐福茶          兵馬俑

 

 

 

 

 

ベトナムつながり——

2024年09月09日

デイサービスおおむちにベトナム ホーチミン市出身のブイ・アン・ダオさんがおられた

事を覚えておられる方もいると思います。 ベトナムへ帰られて、今もラインのやり取りを

しています。 もともとベトナムでも大学を出たスキルの高い方で日本語能力もN3、

介護福祉士として働いておられましたが、経理等の能力や語学力(ベトナム語・フランス語

・英語・日本語)も高く、介護の仕事から新しい道へ転身されたとの事、

今の仕事は順調ですかと聞いたところ、なんと今アメリカのテキサスにいます。

もっとスキルを高めてアメリカで働きたいとの事、すごい方やと改めて見直すとともに

日本から応援してるから頑張ってとエールを送りました。

スキルアップ 無駄にはならない 回り道(頑張れ ダオちゃん)

 

ベトナム出張

2024年09月09日

今から8年前にNPO法人 日本ベトナム医療連携推進センターの理事として

ハノイに訪問した時の話です。

まあ兎に角向こうの熱量・熱気には驚かされました。

単車が多い、信号はほぼ守らない、初めて単車の4人乗りを見ました。

信号がない横断歩道を渡るのは命がけです。これホンマ。

ベトナムの今の人口は1億人を超えどんどん増えています。

それに引き換え日本は少子化で人口はどんどん減っています。

GDPは中国に抜かれその内ベトナムにも抜かれるかも?8年も経つと

きっと大きく変わっているんでしょうね?

ベトナムに その内抜かれる 日本です             

バッチャン焼き

ヒヨドリ(過去のブログ)

2024年09月06日

以前にもちの実をついばむヒヨドリのブログ を掲示しましたが、

過去の画像を整理していたらヒヨドリが止まっている画像を見つけました。

確かこの写真を撮るのに10分近く音を立てずに

カメラを構えていたことを思い出します。

さて以前の画像でどこにヒヨドリいるでしょうか?

忍耐も 無心になると できるんや

  (この画像です)

エイジフリーの変遷

2024年09月02日

西多田おおむちを振り返った時にエイジフリーもまたどのように変わっていったのかを思い返しました。

平成14年1月オープン、ちょうどおおむちデイサービスを始める1年半前です。 元々は(株)協栄メディカルサービスの1部門として協栄ビル1階でスタートしました。 写真にあるように「松下電工エイジフリー介護チェーン川西」という名称でしたが、松下電工が松下電器産業に吸収合併され、松下電器産業も名称を「パナソニック」に改名し、我々の介護事業も「パナソニックエイジフリーショップ川西」となり、隣の新社屋へ移転しました。  さらに宝塚エリアも増えて川西(川西、伊丹、池田、猪名川)と宝塚の二つのエリアを担当しております。  所属も(株)三栄ケアサービスとなり、完全に独立し介護事業に特化して25周年を目指して頑張っていきます。

今後ともよろしくお願いします。

人生で 老いは必ず やってくる

要介護 誰もがいつか 通る道

目指すのは 利用者様に 幸せを

開業当時                今の事業所