対馬そして壱岐への一人旅PART4

2025年07月28日

文章が長くなりますが、ご容赦願います。

対馬に3泊して、厳原の居酒屋2軒、比田勝の寿司屋と寿司屋に紹介していただいたスナックに行った時のそれぞれのお店を紹介します。まずは一日目、居酒屋「汐路」に午後六時入店しました。カウンターに3名おられました。まずは先付のねぎの酢味噌和えと刺身の盛り合わせを頼み、生中と対馬の地酒白嶽の生酒を頼みました。ちょうど目の前にこの店の女将さんが座っておられ、どちらからですかと聞かれ兵庫県ですと答えると私も滋賀県出身で若い頃京都で働いていましたと言われて京都の話で盛り上がりました。お歳はと聞くとなんと八十八ですとの返事、どう見ても七十台にしか見えませんねとヨイショすると喜んでいただき、米寿のお祝いですと一杯継がせていただきました。カウンターの棚には「おばんざい」が並んでおり、適当に見繕ってとお願いし、それをあてに白嶽の生酒をもう一本頼みました。息子さんとその奥さんと3人で切り盛りされており、大変アットホームなお店で他のお客さんとも話が弾みアットいう間に3時間、楽しく飲んでちょうど良い気分になり、明日も早いので、お礼にこの前行ってきた金閣寺・銀閣寺のお札になった入場券のコピーをお渡しすると大変喜んでいただきそのまま神棚に飾っておられました。楽しいひと時に感謝です。二日目はその近くのちょっと上品なお店旬彩「和らく」、午後6時入店もすぐに一杯になり、器が上品、料理も美味しくて、先付はポテサラ、ハイボールにまたまた白嶽の生酒、これしかないとのこと、一本頼み、刺身盛り合わせ、大きなサザエが入っていました。こりこりで美味しく頂戴、ついでにサザエのつぼ焼きに、小エビのから揚げを頼み、1時間美味しく、静かに、ゆっくり頂戴し、お店を後に、少し旅の疲れもあり、ホテルに帰り、すぐに爆睡しました。三日目は元気百倍、事前に予約していた比田勝の寿司屋「三楽寿司」へ、先付はわかめの酢の物、刺身盛り合わせを頼み、生ビールと燗酒注文、ここでも白嶽だけ、熱燗2合をおろししらす、対馬名物「とんちゃん」注文、ちなみに韓国風に味付けされた豚肉とのこと、最後に握りの盛り合わせを頼みました。大将は、まだ30代くらいか、3代目だそうで、お手伝いは、お姉さん、帳場ではお父さんが料理も手伝っておられるとのこと、ここでも1時間半美味しく頂戴、終わりにどっか気の利いたスナックはありませんかと聞いたら歩いて1分の所にスナック「城」を紹介されて行ってきました。なんと店内はレトロなBAR、ママさん一人、貸し切り状態、ママさんとゆっくり話が出来ました。ご主人が6年前に亡くなり、元々福岡でバーテンダーの修行をして、家の家業は旅館をしていたので、スナックもするようになって40年だそうです。200坪もある敷地に旅館と借家もされていたそうで、二人でカラオケをして楽しく2時間ほど過ごしてお勘定をしていたら、10名の団体さんが入ってきました。ママさんは私を福の神やと喜んでおられました。手伝いを呼ばないけないと電話されていました。実は娘さんだそうです。もっと早く呼んでや。(本音)入ってきたお客さんの団体は何と海上保安官でした。1800円ですと言われそれは安すぎるとちょっと奮発して店を後にしました。今日も楽しかったなー。

旅に出て 一人飲む酒 たまらんなー

行く店は それぞれ違う これも良き

居酒屋「汐路」

 

  

旬彩「和らく」

 

 

「三楽寿司 」

 

 

スナック「城」

 

 

渡した金閣・銀閣のお札兼入場券

 

対馬そして壱岐への一人旅PART3

2025年07月24日

壱岐の観光をお伝えします。朝8時から11時までの3時間の観光コースで特に神社仏閣や元寇の古戦場などを中心にこちらからもリクエストして壱岐をほぼ一周して実に効率よく回ってもらいました。壱岐交通の観光タクシーのK運転手さん、大変ありがとうございました。米作りをしながらタクシードライバーもされておられ、いろんな趣味を持つておられるバイタリティ溢れる方に担当していただき楽しい3時間を過ごすことができました。感謝です。あまりに沢山回ったので、抜粋してご案内します。芦辺港から出発し、最初に壱岐神社にお参りしました。祭神は、あの有名な少弐 資時(しょうに すけとき)です。弘安の役の壱岐の守護代で守護の少弐一族です。19歳という若さで討ち死にされて後に神になられました。そこから左京鼻そして内海湾のほらぼけ地蔵や小島神社を見学し、原の辻遺跡、麦焼酎の蔵元玄海酒造を見学して麦焼酎を購入、郷ノ浦方面へ、子宝を授かる塞神社を見て、砲台跡も見学、猿岩も見て、加藤清正が朝鮮出兵の時に築いた勝本城跡に行きました。遂に文永の役の古戦場、新城古戦場に立ちました。ここで少弐氏の家人である壱岐の守護代平景隆が戦い、樋詰城、今の新城神社で自害しました。その古戦場の新城千人塚に遂に訪問できました。先人の偉大な活躍があっての我々の今があります。感無量です。あっという間に3時間が経ちました。慌てて芦辺のフェリーのターミナルへ戻り、運転手さんと次回は壱岐に泊まった時にまたお願いすることを約束してわかれました。最高の半日を過ごすことができました。すべての皆様に感謝です。

大陸と 最前線の 対馬・壱岐

我々は 彼らの犠牲で 今がある

この事を 子供たちへの 教育で

我々が 率先垂範 次の世に

(伝えなければなりません)

壱岐神社

 

左京鼻

ほらぼけ地蔵

小島神社

原の辻遺跡

玄海酒造見学

麦焼酎買いました。4本

塞神社(じっくり見てください)

砲台跡

猿岩

勝本城跡

文永の役の新城古戦場

 

選挙が三つありました

2025年07月21日

猪名川町は今回、参議院兵庫県選挙区選出議員選挙、猪名川町長選挙、猪名川町議会議員補欠選挙の三つの選挙がありました。参議院選挙は13名立候補され、3名当選、兵庫県は今、公益通報の問題や斎藤元彦知事の再選に関連した二馬力選挙など県政は大いに揺れています。その関係か多くの方が立候補され、多様なバックグラウンドを持つ候補者が立候補され、全国の注目を集めています。合わせて、猪名川町も道の駅中止による購入した跡地の問題で裁判沙汰となっており、兵庫県と同様、今回の町長選挙の行方を我々町民も見守っております。町長選挙には、現職の町長を含め5名立候補され、その内2名の現職の町会議員の方が辞職、立候補されましたので、補欠選挙に6名立候補されて2名当選、以下の通りの結果となりました。

参議院兵庫選挙区当選者:一位泉 房穂/822,407票(無所属)・二位高橋 光男/339,822票(公明)・三位加田 裕之/285,451票(自民)・次点吉平 敏孝/275,301票(維新)

町長当選者:岡本 信司5,079票(現職再選)・次点高岡 美津子4,440票

町会議員補欠選挙当選者:一位小林 おきと4,963票・二位車 ひろし4,131票・次点こひがし 明子3,819票

参議院選挙の投票率は58.51%で前回よりも6.46ポイントも増えました。それだけ国民の関心も高く、与党の過半数割れという結果となりました。今後の政局の運営も難しくなり、石破首相の責任も問われており、アメリカのトランプ大統領による関税の引き上げによる経済活動の停滞と合わせて、日本の先行きはますます混迷を深めるようになり、大変不安ですね。私の住んでいる猪名川町も町長は再選され、新しい町会議員2名が選ばれました。猪名川町の投票率も65.6%と高く、前回よりも11.17ポイントも増えており、関心の高さを示しています。道の駅の跡地の活用や税収の減少、空き家対策、北部地区の過疎化、休耕農地の増加など多くの問題を抱えています。国も町も今回選ばれた方々に頑張っていただいて、政治も経済も少しでも上向きになるように期待してまっせ。

我が家の晩餐

2025年07月16日

毎年岩手からお中元が届く、中村屋の海宝漬(めかぶ・アワビ・いくらの漬け)ですが、これが滅法美味しくて日本酒に合います。今回は川徳オリジナルの三彩海宝漬の黄金宝箱(アワビの海宝漬・黄金のうに・ほたての松前漬の三種類)でした。早速スーパーでカツオのたたきとアジの刺身を買ってきました。帰ってくると、田んぼを貸している障害者施設の園長さんが初めて野菜が取れましたと言ってナスやキュウリ、玉ねぎを沢山持って来ていただき、カミさんがナスの煮浸しと姉からもらったジャガイモのバター炒めを作り、これも姉からもらった山椒の実で作ったちりめん山椒と長崎で買ってきた大根の壺漬けをあてに「月桂冠の月」を冷やして、壱岐で買ってきた「麦焼酎」をロックで美味しく頂戴しました。翌日のお昼には、この海宝漬を丼にして食べると最高に美味しかったです。いつも送っていただく盛岡の病院の本部長さんは、病院の老朽化で今新しく建て替えをされています。来秋に完成するそうで、その時はぜひともお祝いに駆けつけたいと楽しみにしています。ちなみに東北の方は、皆お酒が強いので、いつもお返しは酒です。今回は壱岐の麦焼酎を送りました。

辞めてなお 付き合い続く 幸せを

絶品の テーブル賑わう 貰い物

海宝漬(黄金宝箱)    食卓に並ぶ貰い物

 

月桂冠の月(うまい・やすい)  壱岐の麦焼酎(お返し)

  

海宝漬丼

対馬そして壱岐への一人旅PART2

2025年07月14日

対馬の観光をお伝えします。対馬は下対馬と上対馬に分かれていて、万関橋でつながっています。下対馬の中心街厳原(いずはら)にホテルを取り、天智天皇が朝鮮の白村江の戦いで敗れて、防衛強化のために667年に築いた金田城跡を見学に行きましたが、車で進めば進むほど辛うじて「ヤリス」が通れるくらいの山道、歩いて上る勇気もなく残念して入り口で看板のみ撮影して、次の場所の元寇が上陸したという小茂田浜の古戦場址へ、浜の近くに文永の役で活躍して討ち死にした対馬の守護代「宋助国公」が祀られている小茂田濱神社に参拝、誰もいませんでした。横の浜にも人っ子ひとりおらず、とりあえず厳原へ戻り昼食後、一路対馬の最南端、豆酘崎(つつざき)へ、対馬は山が多くてそれも500m以上もあり、山の間をくねくねと車が一台通るのが精いっぱいで対向車を気にしながらも一台も出会わずに豆酘崎の駐車場に到着、灯台までは30分と書いてあったのであきらめて見晴らしの良いところで、写真と動画を撮影、帰り道はおよそ35km午後4時過ぎに厳原に戻り、ホテルにチェックインしました。次の日は早朝から船に乗って壱岐へ、午後に帰り着き昼食後ホテルに戻り、徒歩で宋家の金石城跡と万松院(日本三大墓地の一つ、後二つは金沢の前田家の墓地、萩市の毛利家の墓地)をゆっくりと見学、見学者は少ないでしたが、ほとんど韓国の方ばかりでした。三日目は、上対馬へおよそ100km位か、和多都美神社(わたづみじんじゃ)へ参拝し、続いて海神神社、ここはとにかく急な階段がジグザグと続いており、途中で諦めて引き返す方もいましたが、27度位でさほど汗もかかずに登りつき参拝。国道382号を走っていると「ヤマネコ飛び出し注意」という看板を見かけるようになり、それではと「対馬野生生物保護センター」へ行きました。やはりメインは「ツシマヤマネコ」10歳の名前はかなた君といいますが檻の箱の寝床で昼寝をしていました。また、見学者は私一人でした。続いて韓国が見える丘「韓国展望所」へ、すると大型バス3台が止まっており、あっちもこっちも韓国からの観光客ばかり、韓国語が飛び交っておりました。近くの比田勝港には「国際ターミナル」があり,釜山港から50kmですから、至る所にハングル文字の看板やこんな自動販売機もありました。残念ながら釜山は見えませんでした。午後4時に比田勝港近くのホテルにチェックイン、ヤマネコや韓国展望所はPART1でもお伝えした通りです。飛行機の欠航にもめげずに、何とか予定通りに自宅に帰り着きました。目出度し目出度し。

助国が 対馬のために 戦った

先人の 頑張りあって 今がある

金田城跡の看板

小茂田濱神社と宋助国公の像

 

小茂田浜の古戦場の看板

小茂田浜の動画

対岸から見た豆酘崎灯台(左端のとんがり)

豆酘崎から見える動画(海上保安庁の船)

金石城跡

万松院(天台宗・ご本尊は薬師如来)と宗家の墓地に繋がる階段

 

和多都美神社

全景の動画

海神神社

 

比田勝港国際ターミナルと運航客船

 

ハングル文字と変わった自動販売機

 

対馬そして壱岐への一人旅PART1

2025年07月11日

遂に念願叶い、対馬・壱岐三泊四日の旅に行ってきました。JALで予約して、伊丹空港7時5分発で福岡空港からコードシェア便のANAで対馬やまねこ空港に10時30分に到着、対馬に初上陸。早速レンタカーを四日間借りて、一日目は下対馬の厳原(いずはら)を拠点に山また山の下対馬を回りました。二日目は厳原より6時45分発の高速船ジェットフォイルで壱岐の芦辺(あしべ)へ、1時間ちょっとで到着、貸し切り観光タクシーを3時間チャーター、主要な観光名所を回り、11時40分のジェットフォイルで対馬厳原に帰ってきました。午後は宿泊ホテルから徒歩で行ける観光名所を見学、三日目は今回の目的である元寇の古戦場を中心に名所旧跡を見学、上対馬の中心地比田勝(ひだかつ)のホテルに宿泊、四日目は、前日宮司さんが留守のためお守りを購入できなかったので、9時前に再度和多都美(わたづみ)神社でお守りゲット、その時に事件発生、JALからメール、なんと午後1時5分の飛行機の欠航連絡があり、兎に角、空港へ向かいました。この空港はANAしかカウンターはなくJALとANAはコードシェアしており、また偶然にもANAの飛行機も9時30分出発が機材の整備で11時発となっており、JALキャンセルANAで再予約して、長崎空港経由で伊丹に16時50分に到着、無事に帰ってくることができました。これも神社にお参りしたご利益か?         次項では詳しく対馬、壱岐、居酒屋、すし屋を詳しく紹介します。

対馬・壱岐 念願叶う 空の旅

韓国と 対馬の距離は 50キロ

天然記念物と特別天然記念物の違い・一口メモ:ツシマヤマネコは天然記念物・イリオモテヤマネコは特別天然記念物・ちなみにアマミクロウサギも特別天然記念物・簡単に言うと「特別天然記念物は、天然記念物の中でも最上級の保護対象」ということだそうです。

対馬やまねこ空港 こんな飛行機で到着

 

檻に入った本物のツシマヤマネコ        剥製のツシマヤマネコ

             

韓国展望所

(何も見えません)

九州郵船ジェットフォイル

 

京セラドームで野球観戦

2025年07月06日

オリックスファンの村の先輩と京セラドームにオリックス対楽天のデイゲームを観戦に行きました。思い出します。2008年10月1日オリックス対ソフトバンク戦で清原和博選手の引退試合を見に行きました。右を見ると阪神の金本知憲選手、上を見上げるとイチロー選手(鈴木一朗)、試合終了後は、歌手長渕剛さんによる「清原のテーマソング・とんぼ」を熱唱されていました。早いものでもう17年も経ちました。(ただし、肖像権の関係でブログ掲載はひかえます。残念)今日は早くに出発、試合開始が午後1時なので、大阪城を見学に行きました。環状線大阪城公園駅から歩くこと15分、天守閣前に到着、ここから入場するのに列に並ぶこと30分、暑いし回りはほとんど外国人、ようやく入場、エレベーターで5階へそこから展望デッキまで展示室を見ながら8階へ、東西南北大阪市内の全景をカメラに収めて、京セラドームに向かいました。午後0時過ぎに着席、生ビールとつまみをあてにいよいよ試合開始、いきなり1回に2者連続ホームラン、するとその裏にヒット連打で4点取られ逆転、7回終了まで盛り上がりの無い膠着状態、私が見に行くと負けるジンクス (Jinx(悪い言い伝え)があり、というよりも梅田で一杯という誘惑に勝てずに早々に退散、案の定2対4で負けました。Jinxは継続中。先輩がよく行ってていた新梅田食堂街の居酒屋「はちきん」で一杯飲んで引き上げました。野球観戦と大阪城見学、12000歩歩き、疲れましたが、楽しい一日をすごすことができました。先輩に感謝・感謝です。

見に行くと いつも負けます オリックス

次こそは 思い強くて また負けた

先輩は 前日勝った 2連チャン

オリックス対楽天

 

大阪城の風景

 

 

新梅田食堂街の居酒屋「はちきん」

オリックス1番・2番の連続ホームラン後の楽天2回表の攻撃で一挙4点、そのまま2対4で負ける

7回裏のオリックスの応援風景

金閣寺・銀閣寺訪問PART2

2025年07月04日

金閣寺・銀閣寺の参拝を終えて、今回は予約せずに木屋町辺りの居酒屋で一杯ということで高瀬川周辺をウロウロ、入った店は「五の五」という大衆酒場、五時前ということで割と空いていました。そこで色々注文、ビールにハイボール、冷酒とおよそ2時間昔の学生時代や働いていた時のことを懐かしく話をし、外に出るとなんか知らん労組?のデモ行進、戦争反対、そらそうや、原発再稼働反対、CO2削減で火力発電も問題やしなー、と思いながら次の店を散策、河原町から烏丸周辺の寿司屋を探し、入った店は「大八寿司」まずは先付でビールを一杯、握りお任せを注文、それをあてに冷酒、大将のお勧めで「純米吟醸 京生粋」これはあの俳優佐々木蔵之介さんの実家佐々木酒造、ちょっと調べてみました。三兄弟の次男、本来長男が継ぐものと考えていたそうですが、長男は飲んで無くなってしまうものは作りたくないと東京大学出身の建築士になったようで、次男の佐々木蔵之介さんは家業を継ぐ気満々で神戸大学農学部に進学するも演劇の道に入り、結果は三男さんが継がれたそうです。そんなこんなで美味しく頂きました。四人の飲み友達が今は二人になってしまいました。かつてよく行っていた木屋町通りのお店も閉店、次回は四人で行ってたお店にしようと話し合い、今度は予約して行こと京都の友に頼み、午後10時頃に分かれました。次回は春か秋の涼しい時にしよう。

高瀬川          一軒目「五の五」

 

料理エトセトラ

 

 

デモ行進

二軒目「大八寿司」

 

佐々木酒造の「純米吟醸 京生粋」

久しぶりのメンバーも加わっての飲み会

2025年07月02日

30代になって毎年一回年末に続けてきた気の合ったメンバー9名の飲み会、今は2名が鬼籍に入り、1名は病気療養中のため今回は6名で、最近よく行く居酒屋「しまや」で飲み会を開催しました。6月27日の今日が梅雨明け、梅雨入りが6月9日でしたので18日間と観測史上最も早い梅雨明けだそうです。梅雨が短いと自然界や人間の生活に影響が出ます。例えば、農作物の水不足、稲などは大量の水が必要で収穫量が減る可能性があります。山火事などのリスクが高まることや川や池の生態系にも影響して、雨の少ない梅雨は、自然と人間の生活のバランスに新たな課題をもたらすことがありそうで、心配ですね。これから30度超えの真夏日や35度超えの猛暑日が続きそうで老体には堪えます。と言いながら、ゴルフ好きですので雨より晴天を望んでいますが、炎天下で一日ゴルフしているので熱中症対策に、しっかり水分を取り、色々工夫をして空調服を着たり、冷感タオルを巻いたり、氷嚢を頭に乗せて、暑さ対策をして楽しんでいます。午後6時から4時間ほど昔を振り返りながら楽しい時間を過ごしました。行きも帰りもそれぞれ奥さんに送り迎えをお願いして家路につきました。奥さんに感謝です。

翌日に 靴よく見たら 違ってた

メンバーで 大きな靴は ただ一人

色同じ 酔っていたので 間違えた

連絡し 見事にビンゴ ホッとする

(酔ってたので二人とも気付かず)

  

元寇の真実

2025年06月30日

実は、庵主さんがお亡くなりになった時に、壱岐対馬に旅行の予定を立てておりましたが、キャンセルしました。訪問の理由は、壱岐対馬に上陸した元寇に対馬で迎え撃った「宋助国」と同じく壱岐で迎え撃った「平景隆」が勇敢に戦った歴史を現地で感じたかったのですが、それは次回訪問した時にお伝えしたいと思います。今回は鎌倉武士団がどのようにして元寇の大軍と戦ったのか、神風が吹いて元寇は全滅したというように聞いていましたが、実際はそれだけではなかったようです。一回目の元寇の侵攻は、文永11年(1274年)元寇の軍勢は、約2万5千人の元軍と8千人の高麗軍で対馬・壱岐(両島で虐殺を行いました)を占領して、九州博多へ攻めてきました。およそ1万人?の鎌倉武士団の奮戦で上陸できずに撤退、二回目は弘安五年(1281年)に東路軍(蒙古人・漢人・高麗人)4万、江南軍(南宋の降伏兵)10万の合計14万人が博多に攻め寄せるも、文永の役後に上陸阻止のために20kmにわたり石塁の障壁を作り、およそ数万人?の鎌倉武士団の奮戦もあり、上陸できず一度撤退、再度博多湾に集結もその時に暴風雨(神風)に見舞われほぼ壊滅、その後元に帰り着いたのは14万のうち3万とも言われています。ただ元寇の襲来が原因でその後、鎌倉幕府が滅んだとも?もし仮に元に負けていたら、それからの歴史も大きく変わり、今の日本の姿も変わっていたかもしれませんね?

本当は 鎌倉武士は 強かった

神風も 味方につけて 殲滅す

今もまだ 侵略戦争 続いてる

どうしたら 戦の無い世 できるのか

元寇                 蒙古兵の供養塔(福岡市)