りんごのお話

2025年12月15日

盛岡からリンゴが届きました。JA江刺のいわて純情りんご(サンふじ)です。果物があまり得意ではない私ですが、唯一リンゴは大好物です。現役の時からずっとお付き合いしている盛岡市にある昭和22年開設の遠山病院、健診事業でお付き合いが始まり、十数年が経ちます。辞めた後も続いているお付き合い、心を込めたお中元・お歳暮、私も心を込めてお品を選び送っています。時が過ぎても良い付き合いは続いています。ちょうど今まさに病院の建て替え真っ最中です。来秋竣工予定だそうです。その時はお祝いに駆けつけたいと思っております。さてお返しは何にしようかな?頭を捻って、やっぱり日本酒かな?

岩手人 兎に角酒が 強すぎる

二軒目で 後の記憶は 飛んでいる

 

五月雨を あつめて早し 北上川

(松尾芭蕉のパクリ・最上川ちゃうの?細かい事ええやん)

雨や風 雪にも負けず 賢治くん

(盛岡と言えば宮沢賢治やなー)

 

岩手県盛岡旧石井県令邸(遠山病院所有)

 

広島訪問PART3

2025年12月12日

朝9時にホテルを出発、広島駅よりJRで宮島口駅へ30分、歩いて5分フェリー乗り場より10分で厳島神社到着、フェリーから次から次へと観光客が降りてきて、入場するのに長蛇の列、ようやく日本三景の「安芸の宮島」と言われている厳島神社を参拝して、開運のお守りを受けました。明治維新後に神仏分離により厳島神社の隣に高野山真言宗の大願寺(厳島神社より移された弁財天像などがある)でも開運のお守りをゲットして紅葉谷公園を散策、紅葉は終わりかけでしたが、のんびり、ゆっくりと時間を過ごすことが出来ました。フェリーで宮島口へ戻り、JRではなくフェリー乗り場に近い広島電鉄の電車が出そうなので飛び乗りました。広島駅までなんと240円、JRは420円でしたので、何か得した気分、廿日市市から広島市内に順調に戻っているなと思うもなんとその後は路面電車に変身、原爆ドームの横を走っていました。駅数は38駅(ちなみにJRのこの間の駅数は9駅です)、1時間30分も戻るのに掛かりましたが、急ぐ旅でもないしと言ったら、同伴者に云われました。確認もせずに慌てて乗るから1時間も余分にかかってしまったやんとダメ出しを食らいました。広島駅に戻り、お昼に広島名物の穴子飯を食べ、定番のお土産「もみじ饅頭」を買って一路新大阪へ。

広島は あそこもここも 人・人・人

厳島 海に浮かぶは 大鳥居

大鳥居  社殿

 

大願寺 紅葉谷公園

 

もみじ饅頭 お昼の穴子飯

 

厳島神社&大願寺の開運お守り

広島訪問PART2

2025年12月11日

原爆ドームは、日本が起こした戦争の重たくて、非常に悲しい歴史です。原爆ドームは広電の車窓から幾度も見ていますが、ゆっくりと現地を訪れて原爆投下がもたらした大きな悲劇を改めて平和公園や資料館を見学して痛感しました。今は核を持つことが戦争の抑止力となる考えもあり、日本の周辺にも核を持っている国があります。ただ一つ間違えれば、地球や人類にとって取り返しのつかない事態となります。今なお世界中で紛争が起こっており、これで平和な日本と言えるんでしょうか?たくさんの人々が、見学にお見えでした。特に半数以上が海外から来られている観光客でした。特に広島平和記念資料館には、驚くほどの人たちが見学されており、記念館に入場するのにも30分、展示されている通路を凡そ1時間近く牛歩の見学でした。外国の皆さんも展示物や悲惨な写真を食い入るように見ておられました。改めて核爆弾がもたらす被害の大きさを実感できる機会でした。放射線に携わっていた者として、放射線の怖さは人一倍理解しているつもりです。だから核反対、そして核廃絶を望みます。

理想とは 核が無くなる この世から

現実は 互いに威嚇 抑止力?

 

 

松葉かに

2025年12月10日

蟹のシーズンになってきました。我が家では20年来、城崎の魚屋さんから冷凍の蟹を送ってもらい昔は家族も多かったですが、今は夫婦二人、日本酒を飲みながら、刺身で食べ、かにすきで野菜と一緒に頂き、ちびちび2合ほど飲むとホントいい気分、最後はカニ雑炊でお腹一杯、満足、満足の一日の締め括りでした。最高。

師走なり いつも頼むは 松葉カニ

一年に 一回食べたい カニ料理

二十年 子供旅立ち 今二人

二人して ゆったり食べる カニ料理

 

広島訪問PART1

2025年12月08日

ネットで広島城閉城のニュースを見て、広島へ一泊二日の旅に行ってきた。広島には以前に立ち上げた営業所があるので、何回も訪問していたが、名所旧跡には行ったことがなかった。いつも路面電車から「原爆ドーム」を見ていたが、見学したこともなかった。一日目は、広島城→広島護國神社→原爆ドーム→平和記念公園→広島平和記念資料館を巡り、二日目は、宮島(厳島神社・大願寺・紅葉谷公園)をゆっくりと見学してきたので、PART1では広島城周辺を報告する。広島駅より観光ルートを巡るバスが出ているのでそれに乗ってまずは広島城へ、来年3月22日で老朽化のために天守閣には登れなくなる、確かにかなり老朽化が進んでいるように思われた。この城は1589年に毛利輝元公が築城し、1945年に原爆投下で倒壊、1958年以降に再建されて67年、解体・改修等は今の時点では決まっていないが天守閣にはもう登ることはできない。広島市街が一望できる。そしてお城の横に広島護國神社がありお参りし、開運のお守りを頂き、バスに乗って原爆ドーム周辺を散策した。PART2で。

秋深し もう登れない 天守閣

春暁や 城あらはるる 松の上

(正岡子規作・静かで美しい春の朝の一瞬を切り取った作)

天守閣

 

天守閣からの眺望

 

広島護國神社

開運お守り

望年会

2025年12月06日

12月5日、川西市多田の料理屋「かぐらざか」で忘年会を行った。今年3月半ば松山寺先代住職が92歳、天寿を全うされた。数年前から体調を崩されて伊丹市の同門である曹洞宗の荒村寺様にお世話になっていた。松山寺の相続や継承がようやく片付き、住職ご夫妻並びに役員等10名参加のもと忘年会を行った。挨拶で住職様は、亡くなられた先代を思いつつ来年に向かって希望の持てる年「望年会」としたいと仰られた。仰られる通り、役員一同は70歳を超えており、残り少ない人生を、一年一年希望の持てる年としたいと願っている。みんな楽しく飲んで食べて有意義な2時間を過ごすことができた。次は年末大晦日の除夜の鐘突き、今年一年の厄を祓い、来年午年には「天高く馬肥える秋」としたい。

只管打坐 無心の境地 私無理

欲を捨て ただただ無心 私無理

 

(荒村寺住職様 作)

私無理 私無理でも 皆仏

荒村寺一口メモ:荒村寺の名前の由来は江戸時代に伊丹の木綿屋徳三郎という方が、伊丹市堺町(今の伊丹3丁目辺り)の閑室(人気がなく静かな場所で禅宗ではこうした静かな空間で座禅や瞑想を行う場所)に禅宗の高層を招いて、参禅したのが始まりで天保年間に一妙法国尼が開基となり、「城山庵」と呼ばれ、有岡城の城主だった「荒木村重」の古城跡にちなんで、「荒村庵(こうそんあん)」となり、昭和39年(1964年)に現在の「荒村寺」という正式な寺号になったそうです。

荒村寺様のホームページ、ぜひ一度閲覧ください。https://kosonji.com

「料理屋 かぐらざか」         「懐石料理一式」

 

「今の荒村寺」

 

 

初雪

2025年12月04日

朝起きると、薄っすら雪化粧、午前7時の外気温は0度、おそらく深夜冷え込み雪になったのか?今もちらほら雪が舞っている。昨年の初雪のブログを探していると、12月19日、昨年より2週間早い、昨夜の天気予報では、今季最強クラスの寒気が流れ込んでいて日本海側では大雪だそうだ。この辺りでも路面も凍結するので、お車で出勤される方は十分に注意して運転してください。

初雪や あっという間に 一年か

(しみじみ、歳を感じる、一年経つのが早い)

初雪や かけかかりたる 橋の上

(松尾芭蕉の句:元禄6年(1693年)の冬、墨田川に新しく架けられていた橋の工事を見ながら詠まれたものです)

 

 

火天の城

2025年11月30日

「火天の城」山本兼一原作で2009年に映画化されました。まずはプライムビデオで映画を見て、さらにアマゾンのキンダル本を購入し読んでみました。映画は原作とはかなりアレンジされておりました。映画は、宮大工の棟梁を今は亡き名優の西田敏行さんが、そして織田信長を椎名桔平さんが好演されておりました。簡単にあらすじを説明すると、熱田神宮の宮番匠(宮大工)の棟梁が織田信長の命令で安土城を建てるまでの物語です。その中で色んなドラマがあり、職人の棟梁は「徳」で皆を導く、武家の棟梁は、「力(武力)」で皆を支配するというようなことを言ってるんやなーと感じました。出来上がった安土城は、天主、地下一階、地上六階建てでその高さは32メートルもあったそうです。この城を作った目的は、岐阜城より京に近く琵琶湖の水運が利用できて「天下布武」(信長の天下統一事業)の象徴とするためで、天主の最上階に信長が起居しました。名だたる家臣(羽柴秀吉・柴田勝家・前田利家その他の多くの家臣、あの明智光秀も)の屋敷が天主にのぼる大手道の両脇にずっと続いて建っていたそうです。ちょうど2年前に安土城跡を見学に行きましたが。安土城は、1579年に完成しました。ただ家臣の明智光秀の謀反で信長は殺され、1582年にわずか3年で焼失してしまいました。武だけでは国を治めることはできない、そこには徳がいる、ということです。

織田信長の辞世の句:「人間50年化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」

在りし日の 西田敏行 思い出す

実行力 徳も備えた 総理だれ?

一様は 私も党員 だれ選ぶ?

(少し前に書きました。今は高市早苗総理大臣です。日中関係が急激に悪化しています。国会で台湾有事に関する質問を受けた時、いままでの総理なら回答は濁して中国を刺激しないような答弁をしていましたが、高市総理は、次のように発言しています。「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだと私は考える」色んな考え方があると思いますが、今の中国軍の武力を使った示威行為(日本の領土である尖閣諸島への圧力や南シナ海の南沙諸島、西沙諸島の中国による実効支配などなど)は目に余るものがありますね。)

「ちなみに存立危機事態とは、2015年に成立した平和安全法制の中で導入された重要な概念で、日本が集団的自衛権を行使できる条件の一つ」

映画見て 今の現実 重ねてる

天主に続く大手道

 

 

天主最上階

 

信長公御座所

 

信長公御陵

    

クワガタのその後

2025年11月27日

10月16日のブログに書いたようにクワガタを飼い始めて1か月以上が経った。日中は、おが屑の中に潜っていて、見たことがなかった。ゼリーの餌が減っているので、生きていることは確認していた。段々寒くなってきて、ずっと家の中の虫かごに入れていたので、今日は良い天気、ひなたに出してみた。しばらく経って見に行くと姿を表わしていた。おが屑の上をウロウロ、拍子で転んでしばらくもがいていたが、何とか起き上がり、餌のゼリーを食べていた。3時間余りの日光浴、室内に入れて、暗くなってきたので毛布で虫かごを包んで保温、高温や乾燥に弱いそうで、定期的に虫かごのおが屑に霧吹きをしている、この冬を超えて夏にはどんだけ成長しているか楽しみである。皆さんに成長したクワガタ君の姿を見せたいと思っている。

飼ってると 段々情が 湧いてくる

餌に顔 突っ込んだまま 動かない

クワガタは転ぶと自力では起き上がれない、そのために足が引っかかる木や石をかごに入れるようにするそうだ。

一年越しの桑名訪問PART2

2025年11月24日

みんなに合流して、少し早いですがなばなの里にイルミネーションを見に行ってきました。午後5時、外は薄明りも鮮やかに点灯して、光のトンネルや色んな工夫をしてお客さんに楽しんでもらえる演出がそこかしこに沢山ありました。四季の富士山が次々に変化する姿や川面に写る真っ赤に紅葉したもみじが霧の中に浮き上がったり、2時間があっという間に過ぎていきました。私が旧跡を回っている間にスパーランドで一杯遊んだようで、何が面白かったか聞くと鯉の餌やりだったそうで、明日帰る前に一緒に行こうと云うので行ってきました。確かにはまりそうになりますね。お昼に名古屋駅にバスで戻り、新幹線で遅めの名古屋名物のお弁当を食べて、無事に帰ってきました。楽しい二日間でした。

口開けて 餌を待ってる 鯉・鯉・鯉

四季写す イルミネーション 鮮やかに

光舞う 紅のもみじが 水鏡

鯉の餌やり

イルミネーションの数々

 

 

春の富士

夏の富士

秋の富士

冬の富士

展望台がUFO