遂に念願かない八丈島へ行ってきました。
確かに遠い。 羽田空港から凡そ50分のフライト、八丈島空港に着きました。
八丈島は江戸時代から罪を犯した人が流される島、浦賀湾から千石船(実際は千石も積めない手漕ぎもできる大きな帆船)で順調にいけば10日、時にして難破、海の藻屑になってしまうこともあったそうです。
私が訪ねたかったのは、宇喜多秀家と豪姫の像です。 宇喜多秀家は、江戸時代になって公式には初めての流人だそうで、それ以後1900名の罪人が流されたそうです。
宇喜多秀家は幼少のころから豊臣秀吉に寵愛され、猶子(養子に近いが、現在風に言うと、相続権がない養子?)となり、秀吉の一字秀をもらい、姓も羽柴そして豊臣姓も賜り中納言の位ももらった備前を含めた57万石の大名、五大老の一人となり、五大老である加賀100万石の前田利家の娘である豪姫を奥方に迎えましたが、秀吉の死後、関ヶ原の戦いに敗れて最後には捕まり、八丈島への遠島の刑になりましたが、八丈島で84歳まで長寿を全うしたそうです(あしたばのおかげ)。
今でも宇喜多秀家のお墓には花が手向けられています。
宇喜多秀家と豪姫の像を見学し、八丈富士を一周、美しい観光スポットそして黄八丈の織物工場や陣屋後を見学し、地元の逸品で地元の焼酎を堪能した有意義な3日間でした。

いつの日か 行きたい思い 実を結ぶ

昔から 時代劇見て 島流し

罪犯し 鳥も通わぬ 八丈へ

今昔 八丈島は 観光地

「豪姫は八丈には行ってません」

 

八丈富士           八丈三原山から見た八丈富士と八丈小島